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世界を表現する数字

こんにちは。小山です。

今日も暑いですね!

 

 

先日電車に揺られながら、

ふと思ったことがあります。

電車がホームにゆっくり

ブレーキを効かせながら到着していくとき、

車内にいる人間は、

進行方向と逆に体をふられますよね。

みーんな同じような姿勢に

いっせいになるんですよね。

人間の立ち直り反応って、

無意識なのに凄く良くできているな、

と、感心していたわけです。

 

あの人もこの人も、

頚部側屈は20°くらいか?

体幹側屈は10°くらいか?

電車の時速が60㎞だとしたら、

どれくらいの重力が、ベクトルが…

そんなことを考えているうちに、

あの人が持つスマホの手関節の角度は?

とか、後ろの窓ガラスの縦横の長さ、窓ガラスの比率…

などなど考えてしまい、

そこで、ハッ!(゜ロ゜)⁉️

と、気づきました。

 

もしやこの世界は

全て数字で出来ているのではあるまいな。。。と。

 

 

私はとりわけ

数学というものが、全く出来ません。

大袈裟な話ではなく、小学生レベルです。

公式通りにやらないと答えが間違う学問、

答えがひとつしかない学問は、どうも苦手で。。。

 

しかも面倒なことに、

そのうんちくが理解できないと、

私の中で腑に落ちないのですよ。

 

例えば、

分数同士の割り算とか

ハッキリ言って意味不明です。(;゚д゚)

あんな、分母と分子をひっくり返して、

掛け算にするだと、、、

ど、どう言うことなんだ!

ゆ、許せん!笑

 

 

もしも、私に数学が出来たなら、

この世界の風景は

数字に「見える」のだろうか?

では、数字に出来ないものって何なんだろう?

感情とかいう類いのもの?

 

 

例えば、

泣ける映画を見終わったときに、

「どれくらい悲しかった?」

とは聞かない。

「どこが悲しかった?」

とは聞くかもしれない。

 

「私の事どれくらい愛してる?」

と聞かれたとき、

「42.195㎞くらい」とか答えないし

「アメリカの国土くらい」とか答えても

場合によってはアウトになる。

 

そこはもう少し空気を読んで

「世界中の誰よりも~」とか

「この宇宙の果てまでも~」とか

言うだろうし、

どうしても国土で答えたければ

「アイルランドくらい」とか、

イメージつきにくい大きさを持ってくる

と、濁せるとは思います(何の話だw)

 

 

さて。

ざっくり言えば

喜怒哀楽を表現するとき、

それを物や場所の大きさに

例えることがあっても

あまり数字に置き換えることがない。

置き換えることが出来ないのかもしれない。

 

 

私たちのようなリハビリの世界では、

「数字」は他者に見えるものとして

また客観的な指標として

時に、エビデンスと言われるような表現をされる。

数字への置換が難しい感情たちを、

取り除いた数字だけが称賛され、

感情とやらを何とか数字に置き換えようと試みては、

主観だの何だの言われて打破される。

だけども、仕方ないよね?

人間だもの。(パクりではありません)

好きなものは好きだし、

嫌いなものは嫌いよね。

それが明日になれば、

また変わるかもしれないしね。

 

 

エビデンスという数字は確かに大切なんだけど、

それだけでは説明できない、

数字になりかけな事象が沢山ある。

私は一応ニンゲンだし、

お相手するのもニンゲンだし、

エビデンス@人間だもの。

くらいの塩梅で、

今日も一仕事しようかなと思います。

 

それでは今日はこの辺で!

いつもお読み頂き有り難うございます

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